2つのリコーダーと通奏低音のための トリオソナタ第5番 ハ短調
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作曲者と作品について
ゲオルグ・フリードリッヒ・ヘンデルは1685年2月23日にドイツのハレで生まれました。1か月後の3月31日にドイツのアイゼナハでJ.S.バッハが、8か月後の10月26日にイタリアのナポリでD.スカルラッティが生まれています。音楽とは無縁の家庭に生まれたヘンデルでしたが、幼いころから音楽の天才ぶりを発揮しました。ヘンデルが音楽家になることに反対していた父親が、ヘンデルの音楽の才能を高く評価した領主の説得により翻意し、ヘンデルは音楽家の道を歩み始めます。ハレやハンブルグで活躍したのち、21歳でイタリアに渡ったヘンデルは、スカルラッティ親子やコレッリと親交を持ち、イタリア様式を吸収しました。演奏作曲家としてイタリアで成功を収めたヘンデルは、その後ロンドンに渡り、一度ドイツに戻りましたが、27歳でイギリスのロンドンに定住します。イギリスでも大成功したヘンデルは1724年に帰化し、1759年ロンドンで死去しました。
本書作品は、作品2のトリオソナタ集の第5番、「2つのヴァイオリンと通奏低音のためのトリオソナタト短調」を完全4度上のハ短調に移調して2本のリコーダーと通奏低音用に書き換えたものです。ヘンデルのトリオソナタはロンドンのウォルシュ社から2度にわたり計13曲出版されました。
作品2(1733年) 作品5(1739年)
第1番ロ短調HWV386b (Fl.Vn.BC.) 第1番イ長調HWV396 (Vn.Vn.BC.)
第2番ト短調HWV387 (Vn.Vn.BC.) 第2番ニ長調HWV397 (Vn.Vn.BC.)
第3番変ロ長調HWV388(Vn.Vn.BC.) 第3番ホ短調HWV398 (Vn.Vn.BC.)
第4番へ長調HWV389 (Re.Vn.BC.) 第4番ト長調HWV399 (Vn.Vn.BC.)
第5番ト短調HWV390 (Vn.Vn.BC.) 第5番ト短調HWV400 (Vn.Vn.BC.)
第6番ト短調HWV391 (Vn.Vn.BC.) 第6番へ長調HWV401 (Vn.Vn.BC.)
第7番変ロ長調HWV402(Vn.Vn.BC.)
作品2は、ト短調が3曲含まれていること、楽器編成が統一されていないことなどから、一連の作品集ではないと思われます。バスの存在感が大きく、通奏低音の練習用に作曲されたものという説もあります。出版譜の冒頭には、「2つのヴァイオリン、2つのオーボエまたは2つのフルートと通奏低音のための6つのソナタ」“VI SONATES à deux Violons, deux houbois ou deux Flutes traversieres & Basse Continue“と記されていますが2つのフルートと通奏低音で演奏できる曲はなく、2つのオーボエと通奏低音で演奏可能な曲は3番と5番の2曲だけです。作品5は、楽器編成が「2つのヴァイオリンと通奏低音」に統一されており、調の重複もないことから、出版を前提に書かれた作品集と思われます。作品5の出版譜の冒頭には「2つのヴァイオリンまたはフルートと通奏低音のための7つのソナタもしくはトリオ」“Seven Sonatas or Trios for two VIOLINS or GERMAN FLUTES with a Thorough Bass for the HARPSICORD or VIOLONCELLO”と記されていますがフルートで演奏できる曲はありません。
本書の作品は、緩-急-緩-急の教会ソナタです。基本的にはA.コレッリが確立したトリオソナタ形式を踏襲していますが、急楽章に第1声部の長いソロを挿入するなど、やや変則的な内容になっています。本書のスコアには当時の出版譜の通奏低音に付けられた数字を基に内声(チェンバロの右手)を付加しています。これは一例と捉え、チェンバロパートの下に記した数字を基に、自由に省略、追加、修正して演奏してください。